ツインソウル心と魂の旅 〜光に向かって〜

★TWIN SOUL_Love・・・それは愛と絆を深め光に向かって・・・ただ素直に真っ直ぐに・・・スピリチュアル真理を探す・・・そんなツインソウル心と魂の旅★。。。(σ_σ)人( ̄_ ̄)by fukuchan&yuka ★"May Peace Prevail on Earth"★
(σ_σ)人( ̄_ ̄)管理人からの ご挨拶と、お知らせです♪当ブログへ、ご訪問いただき、ありがとぅございます♪ヾ(^Д^*)ノ  ツインソウル【学び舎】 別途、学びの資料倉庫

このブログは、ゆか(霊媒)と(σ_σ)人( ̄_ ̄)福ちゃん(霊)という そんな、チョッと異色ツインソウルふたりが・・・日々の暮らしなどからの気付きなどを書き留めてるモノや。資料などのブログになっています。
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ふたりの気付きと学びの箱の記事一覧

運命を変えるには

【2007/12/29 20:01】

命を変えるには、大きな努力は必要ないといいます。では・・・必要なのは、いったい何なのか3
それは、日々の小さな習慣。日常の中での、小さな習慣を積み重ねていくことなんだそうです。

わたしも、このことは・・・自分で実感しています。ブログを、福ちゃんと投稿するようになって・・・
日々の、このブログ以外に特別に何もしてきていないけれど・・・ブログを始める前の今年の初めに比べ。
自分の考え方、気持ち、言動・・・そうした日常の中での自分自身が、自分でも変わったと感じています。
そして・・・それは、福ちゃんにとっても同じことだと想うし。ふたりの「霊的真理」の学びに関しても・・・

いまできること。自分たちが、いま互いにできること。それだけしか、実践できてないのかも知れません。
そして、それは・・・大したことでは、無いのかも知れない。でも、それを続けてきたことに対しては・・・
わたしも福ちゃんも、率直に素直に・・・本当に良かったなって想っています。

2月から続けてきた、このブログの中で・・・いろいろなことと向き合う場を持てたことに、心から感謝です。
もし、こうした機会を設けることができなければ・・・いまでも、知らずにいたこと。気付かないままのこと。
そして・・・間違ったまま思い込んでしまってたり。それが正しいと、当たり前のように感じていたこと・・・
そうした数々のことがあっただろうなぁ〜って、改めて実感できるからです。

わたしたちふたりにとって、「こんなふうになりたい」とか。「あんなことをしてみたい」だとか。
そんな夢や目標だとかってことよりも。いま、できること!今日からでも実行していけること。
そして、明日も明後日も・・・それを続けたいと思えること・・・その方が、魅力的に映ります。

「こんなふうに、あんなふうに・・・」と想っても、できないかも知れないことより。確実にできること。
その積み重ねの方が、自分たちには合ってるんだろなぁ〜って気がします。つまり、いまできないことは
気にしないようにしています。気にしても、できないんだから・・・(笑)それよりも、いまでもできることとかを
実践していく方が、たとえ小さなことであっても・・・昨日より、今日の方が心に感じるモノ。魂に響くことを、
実感していける方が・・・何だか、「ありがたいな」って思えるんですよね。

メジャーで活躍されているイチロー選手の言葉に、
「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただひとつの道」という言葉があります。
「大きな山を見ず、足元の石ころを見てがんばりました」と語ったのは、横綱の朝青龍です。

凡人は自分のできることをせず、できもしないことをしようとする。英雄は自分のできることをした人。
そんな言葉もありました。いまできること。小さな小さな前進であっても、毎日続けていくことで確実に
進んでいけるものです。今日から確実にできる一歩だけでいい。大切なのは、1ミリでいいから・・・
にじりよっていくこと・・・それこそが、運命を変える大きな大一歩なのかも知れません。

妥協の中に隠れた感謝の心

【2007/12/29 12:35】


















と一口にいっても・・・そのカタチは、さまざまですよね。

誰かのことを、ひたすら愛してくれる人もいれば・・・その人のことを想って、嫌われるようなことでもいう。
でも、どちらの愛も・・・その相手のことを、一生懸命に考え想ってくれてのことなんだと思います。

人は自分の理想だとか。想い描いたように・・・といった、そんな願いや希望。そして時には欲となって、
心の中に秘めたり、持ったりしているものです。けれど・・・自分が望むように、相手が応えてくれたり。
コトが上手く運ぶというようなことは・・・逆に、少ないのかも知れないです。

相手や物事が、想う様に成らないからと言って・・・それだけで、相手が応えてくれないだとか。
想うようにいかず失敗だ!と決めてしまうようであっては・・・何だか、ちょっと哀しすぎませんか?

わたしは、今回「薬害C型肝炎訴訟」のことを・・・以前、取り上げてから(ココ)今回に至るまでの
流れを見てきて・・・考えさせられたのは、歩み寄ることの大切さ・・・そんな気がしています。

おそらく、原告の方々にしても。国側にしても、100%互いに納得いくものではなかったと想っています。
しかし、お互いに相手の努力や妥協という部分も踏まえた上で、譲歩しあうモノが無ければ話し合いが
まとまることなど・・・永遠に無くなってしまいます。そして、これは国同士でも。人間関係といったような、
個人的なレベルの中においても・・・決して、忘れてはならないことだと思います。

親子・夫婦・恋人・・・特に、そうした関係だと。どこか・・・自分のことを理解されてて当然。愛されて当然。
そんなふうに人は想いがちで・・・その想いも、たいていは・・・自分にとって都合が良いように解釈してたり。
思い込んでしまってることの方が・・・多いような気もします。だから、逆に・・・相手の反応が、違ってたり。
想うような結果にならなかったりすると・・・腹が立ったり。裏切られたとか。傷付けられたとか想う・・・

でも、人には・・・いろいろな人がいるように。表現の仕方も、個々に違っていて当然だと思えば・・・
相手の反応や、結果には・・・腹も立たなくなってくるものです。愛を測ることはできなくても・・・仮に、
その愛が10の重さを持っていたとしても。

10スベテを与えてくれる相手もいれば、1だけ与えてくれる人だっている。でも「愛」には変わりはないし。
10与えてくれる人が、いつもいつも10与えてくれるとは限らなくて・・・1のときもあるかも知れないけれど。
でも、その人が与えてくれる「愛」には・・・変わりは無いんですよね。

わたし自身にしても、主人との関係の中で・・・出逢った頃を10とするならば、いまは・・とても10は無い。
でも、与えてもらえてるモノは・・・あるので、「愛」が無くなったとは・・・想ってません。確かに表現方法は、
以前と比べれば味気なくなってるかも知れないですけどねぇ〜( ̄_ ̄ i)でも、それは・・・お互いかな。

ときどき、自分の思いや気持ちを譲歩して歩み寄るってことに、すごく反抗的になる人っていますよね。
何だか・・・すごく損するみたいに・・・まるで、負けを突きつけられたかのように・・・

でも、人間関係を上手くやっていきたいって中に・・・そうした感情が持ち込まれる方が、逆にオカシイ・・・
わたしは、そんな気がして成りません。「妥協」するって・・・損ですか?負けることでしょうか?
わたしは・・・「感謝」が生まれるからこそ、譲り合う気持ちが起こるんだと想うので・・・
それは、損でもなければ。負けでもないと思ってます。

そんなことで、相手との関係や距離感を維持しようとか思う方が・・・逆に、上手くいかないのかも。
だって・・・考えてみりゃ、自分自身のことだって嫌いになったりすることってありますものねぇ〜
そんな自分に応えてくれたり。想ってくれたり。考えてくれる・・・それも「愛」なんだろなぁ〜

「愛」は、一方的でも逆に負担に感じてしまうときがあります。与えてくれる側と、受ける側との・・・
コンビネーションとでもいうのか。バランスとでもいうのか。相手が1しか向けてないときに・・・コッチが、
せっせと10を与え続けてしまっても、逆に負担になってしまって・・・いつしか、それを拒絶したくなる。

うーん・・(〃 ̄ω ̄〃ゞ難しいですね。でも・・・そうやって、アレコレ考えてるうちは・・・「愛」のように、
感じているだけの「恋心」なのかも知れないなぁ〜とも、感じてきました。「恋」は自分中心なんです。
でも・・・「愛」になると、相手のことを優先できるようになれる。そんな気がします。

(*'ω'*)ん?何だか、話しが・・・端から端まで進んだような展開になってしまいましたが・・・(;^_^A
まぁ、これも・・・よくあることで。(爆)でも、こうやって、いろんな角度からヒトツのことでも捉えていくと。
だんだん、「臨機応変」ってことも学んでいけるようになれるものです。(笑)


幸せ探すより幸せに変えられる心

【2007/12/26 00:35】

どんな幸せを得るかよりも、本当に幸せ
なのは・・・ソレを幸せだと感じられる心を、
持てるかどうかなのかも知れません・・・


ステキな異性に出会いたい。ステキな恋愛をして、ステキな結婚をしたい・・・もしも、そんな願いが
叶ったとして・・・ステキな異性とステキな恋愛をして、ステキな結婚をしたとして・・・それで「幸せ」に
本当になれるのでしょうか・・・

いまの相手が自分の望むように応えてくれない。いまの結婚生活が、思っていたのと違ってた・・・
そうしたことって、きっと・・・誰にでも、あることなのかも知れないですね。わたし自身も、そんなこと
考えたり、想ったり、そして・・・ソレを不満に感じたり。ウンザリしてみたり・・・相手に失望したり。
うーん・・(〃 ̄ω ̄〃ゞでも、何だか・・・そういうのってキリが無いですよねぇ〜( ̄_ ̄ i)

自分自身のことすら、想うように満足にならないくせに・・・ましてや、他人が想うように満足いくように
してくれる!・・・と期待したりだとか。他人に想うようにしてとか、満足させて!なんて望むなんて・・・
よくよく考えてみると、ものすごく傲慢で横暴なことだなぁ〜って思います。

「幸せ」って、何かを手に入れるだとか。想うようになるだとか・・・そんな、ちっぽけなことじゃなくって。
「幸せ」だと思えること。「幸せ」だと感じられる「心」(こころ)ソレを、自分で得られれば・・・って思います。

結局、自分自身が・・・「幸せ」って感じられることが、いちばん「幸せ」なんですよね。
ステキな異性とステキな恋愛をして、ステキな結婚をしたところで・・・自分が、それに「幸せ」を感じない。
だから不平不満だらけで・・・余計に楽しくない!「心」(こころ)の隙間を別の楽しさを求めて埋めてみても。
そんなの・・・って一時的にしか、埋まらない。だから・・・また別の何かで、埋めなきゃならない・・・悪循環。

ホントは、すっごく簡単なことなのに・・・気付けずにいるから、繰り返してしまう。
でも・・・どんなにステキな異性を探しても。どんなにステキな恋愛を求めても。どんな結婚をしても・・・
埋まることは無いって、なかなか気付けない・・・そして、また他に求めてしまって・・・そんな繰り返しの
まるで、アリ地獄みたいにとこに自ら飛び込んでるようなものなのかも知れないですねぇ〜( ̄_ ̄ i)

わたしは、どんな異性であっても。どんな恋愛であろうと。どんな結婚をしたとしても・・・
本当に「幸せ」になれるのって、自分自身が「幸せ」だと感じることができることなんだろなって・・・
いろんな経験してきて、失敗を重ねてきて・・・何だか、そんな気が・・・すっごくしてます。(苦笑)

( ̄ェ ̄;) エッ?気付くのが遅いゾォ〜って・・・まぁね。確かに、再々婚して・・・気付いたことを思えば、
確かにいえますけど・・・(;^_^A アセアセ・・・でも、人生に遅すぎるなんてことは無いと想うんですよね。
それに、どんな経験も失敗も・・・ムダではなく。ムダにしてしまってるか、活かしていけるかだと・・・
何だか、そんな気がします。。。。

o(゜^ ゜)ウーンわたしは、いまでは経験も失敗も自分なりに、けっこうアレコレ料理して楽しめてるかな。
いまとなりゃ、気付きの上では・・・けっこう失敗作と思えた経験が、なかなかの味を出してくれたりして。
「オッ!(・o・ノ)ノけっこう珍味じゃなぁ〜い!」って感じになったりしてますからねぇ〜(笑)

駄作だろうと・・・ソレを、いかに楽しめるか!まぁ、コレも自分の人生楽しくする上では捨てれません!
(;`O´)oダメーーー!!って想っちゃ、どんな良い材料だって活かせなくなっちゃうように・・・駄作なりに、
得られるモノって、実は良いモノより多かったりしますからねっ。貴重な・・・珍味なんです。(*^^*)

わたしは、自分の波乱万丈を・・・けっこう楽しんでいます。そうそう味わえない経験・・・を実感できる。
コレって・・・不幸と想っちゃうから、「不幸」なだけでしょ。人から見りゃ「不幸」かも知れない人生でも、
わたしにとっちゃ・・・ものすごい貴重な、気付きの宝庫なので・・・時々、取り出して味わったりしては、
何度でも・・・また気付かせてもらったりしています。

アレコレ、、、(* ̄  ̄)b{ ひ・み・つ♪ )にしたいような経験あったとしても、自分の中でソレを活かして
ムダにしないようにしていければ・・・わたしの中では、ソレは秘密でも何でも無いことなんですけどね。
まぁ、あんまり暴露してしまっても、「そんなの関係ねぇ〜」とか言われちゃいそうなので・・・(^^;;


「小我の愛」と「大我の愛」

【2007/12/25 13:41】

マザー・テレサさんの愛は・・・

仏教的な慈悲深さを、感じさせてくれます。

自ら駆け寄り・・・手を差し伸べるのではなく、
自らが駆け寄って、手を取られてらっしゃる。
そんな印象を受ける方です。

立派な方は、たくさんいらっしゃいますが、 
マザー・テレサさんのような活動は・・・
本当に相手の目線での行為なのかな。
何だか、そんな感じがするんですよね。

「善意」であっても、相手の目線で考え。
相手のニーズに合ったモノでなければ・・・
それは、自己満足になってしまいますから。

本当の優しさって、きっと・・・表立った部分と
逆のところにある影の部分に光を当てられる。
そんな「愛」なんだろうなって、気がします。

物質的な援助って、一時的なカタチでしかその人を支えられないけれども・・・
精神的な部分での支えになれれば、その人が本来、持っているであろう「生きる力」を引き出せます。

人は、「小我の愛」(しょうがのあい)ではなく・・・「大我の愛」(たいがのあい)によって成長できるし。
「大我の愛」(たいがのあい)こそ、人を人間らしく生きることを教えてくれる・・・そんな気がします。

わたしと福ちゃんにとって、「小我の愛」(しょうがのあい)と「大我の愛」(たいがのあい)の違いって・・・ 

"小我の愛"とは嫉妬や束縛、また相手に「愛されたい」「愛してほしい」
「わかってほしい」・・・などといった、自己があっての上で愛すること。


"大我の愛"とは無償の愛・条件をつけない愛・見返りを期待しない愛で、
与えるだけで・・・ただ相手のすべてを、ひたすらに愛すること。


こんな感じでしょうか・・・05/20 23:53に、わたしが・・・ある「霊魂」から受けたメッセージがあります。
何処の誰か・・・今でも、わかっていませんが・・・受けたイメージでは、少年でした。

ボクにできるコト(詩) Spirit(不明)

例えば ボクに好きな人がいて
 その好きな人に 大切な人たちがいたのなら

そしてボクの ポケットの中に
 お米が買えるだけの お金があって その人たちが
食べるコトに困ってたとしたならば・・・

その お金の半分で お米を買って
 残りの半分で イネを買って・・・

そしてボクは ソレを均等に分けて あげたいのです
 まずボクが好きな人が 大切にしている人たちに
その お米とイネを渡し 残った お米とイネを

ボクは好きな人と 一緒に味わい 大切に大事に
 育てていこうと思います

いつか イネが稲穂を着けて 多くの実をたわわにし
 やがてし収穫の時期がきたときに そのイネは
多くの お米となって 他の人たちにも役立てる

 そんなふうに なっていける なっていけたら
ボクは今 自分が お腹を空かせていたとしても…

お米とイネを 買いたいと思います お腹いっぱいに
 好きなモノを食べるよりも ずっと幸せだから

05/20 23:53

わたしは・・・この詩のような気持ちって「大我の愛」(たいがのあい)なんだろうなって気がします。

本当の「幸せ」を求めたとしても・・・自分だけが、どけだけ満足できたとしても・・・その「幸せ」は、
一時的な満足感をモタラスだけで、本当の「幸せ」とは、逆になっていくばかり・・・そんな気がします。

所詮、人間独りが抱え込める量なんて・・・たかが知れてるんですよね。どんなに大金持ちになっても。
今度は、「いつ・・・強盗に合うんだろうか?」なんて、ソレまでに無かった不安がツキマトウようになり。
別の悩みだとか、不満だとか・・・いろいろと出てきてしまう。求めれば求めるほど、それは続きます。

「小我の愛」(しょうがのあい)の愛の領域の中で自分自身が居る限り・・・そうしたモノは続くものです。
でも与えていくことに、本当の「幸せ」を感じられるようになれると、何かを得られたことに・・・
本当に(^人^)感謝♪していけるモノも、得られるんだろうなっ・・・て、そんな気がするんですよね。

「愛」は一緒に育んでいくもの

【2007/12/23 09:22】

「愛されたいなら愛し愛らしくあれ」

ベンジャミン・フランクリンの言葉です。この言葉の意味って・・・改めて考えると、
もっともだな・・・って感じさせられますね。


人って、つい自分のことばかりになってしまいがちで・・・自分のコトなど棚に上げて、相手に要求してる。
そんなことの方が多かったりすることがあります。わたしも、主人にたいして・・・そんな自分になってる、
そんな時期がありました。そして福ちゃんと、ネットで知り合い福ちゃんと仲良くしていた彼女との関係。
その二人の関係を視ていて・・・自分の、そうした部分に気付かせてもらったことがありました。

相手や他人に、どうこう言ったり。想う前に・・・先ず自分自身のことを、振り返って視ていかなきゃ・・・
そのとき、本当に・・・そぉ実感したものです。そうしたコトに気付いてから、わたしの心の中からは・・・
一方的なまでの身勝手な「愛されたい」って気持ちや、想いは・・・不思議と徐々に縮小していった・・・
そんな気がしています。それとは別に、求める前に・・・自分がやるべきことを先にやるように「意識」し。
ソレが自分の中で確立してくるにしたがって・・・想わなくても、特別な何かは無くても・・・歯車は回る。
何だか、そうしたモノを実感できるようになってきて・・・なんだろなぁ〜何かを学べたって気がしてます。

昨日の「オーラの泉スペシャル」でも、江原さんが言ってましたが・・・夫婦って、ホントいろんなことを
乗り越えていかないとホンモノになっていかないって気がしています。

男女の領域だけで相手を見てしまっているうちは、きっと・・・相手に異性として好きだという感情が、
自分の中で失せてきてしまったら・・・修復って、難しいのかも知れません。でも、その領域を越えて
相手を独りの人間として視れるようになったとき・・・はじめて、「絆」が生まれるのかもしれません。

「愛」は独りでは育てていけない。「愛」は、一緒に育んでいくもの・・・そして「絆」は、一見・・・失われた
ように見える「愛」であっても。「愛」が根底にあるからこそ、結ばれていけるものなのかなって思います。

案外・・・「愛されたい」って想っているうちは、本当に相手のことを自分が「愛している」とは・・・
言い切れないのかも知れないですね。何だか「愛されたい」そんなことさえも考えないほどに、
相手を純粋に「愛していける」方が・・・本当は幸せなのかなって気もします。

If you would be loved, love and be lovable.  Benjamin Franklin
愛されたいなら、愛し、愛らしくあれ。  ベンジャミン・フランクリン

 

わたしには無い風景

【2007/12/19 21:31】

わたしには無い風景の

記憶があります。テレビなどを見ていて
たまに見かける風景・・・懐かしい記憶。

でも、わたしには解からない。でも・・・
そこが京都の「かもがわ」だと不思議と
いつも・・・判るのは、福ちゃんの心に
残された記憶なんだろなぁ〜って、
そんな気がしてなりません。

不思議なのは・・・「かもがわ」の文字。
わたしは、ずっと「加茂川」と書くものだと
思い込んでいました。

ところが・・・さっき、テレビである川の風景が映し出され。その風景を見て・・・そこが「かもがわ」だと・・・
また不思議とワカッタときに、そうだ・・・このことを書こうと思ったものの、わたしは「加茂川」だと思ってた。
そしたら・・・福ちゃんが、「鴨川やで」って教えてくれました。その鴨川の風景写真を探していたところ・・・
なぜか、涙が滲んでくるんです。京都生まれ京都育ちという・・・福ちゃんにとって、思い出の場所・・・

そういえば、社会人だった頃・・・川の堤防でよく、連れと将来のこととか・・・いろいろと話したことがあった。
そんな話しを・・・何年も前に福ちゃんが生前の自分の記憶を素に、私小説を書いてた頃があって・・・
その中で、そんなことを書いていたのを思い出しました。( ̄∧ ̄)(_ _)フムフム・・・

人間の「心」(こころ)に妬きついてる思い出って、死んでも残るモノもあるんだなって・・・思います。

心に留めておきたい言葉

【2007/12/18 19:12】

は地獄を天国に変え天国を地獄に変える>>>>>ミルトンの言葉です。

人は死んだら、天国へ逝くのか? それとも地獄へ堕ちるのか?なんて、よく見聞きしますが・・・
ミルトンの言葉にもあるように、天国も地獄も・・・案外と、この世にいるときの方がハッキリしているのかも。
何だか、そんなふうに想ってしまうことが・・・日々のニュースなどを見聞きしていると感じてしまうものです。

人間って自分の思うようになることを望みがちです。

これは、本人にとっては・・・まさしく「天国」ともいえるような想像や、中には妄想だったりするかも
知れないですよね。でも他人にとっては・・・それが「地獄」のような出来事だったりするかも知れません。

そして・・・他人に受け入れられないことによって、本人の方も「天国」だったはずの何かが・・・
「地獄」へと転落していく・・・一方的な想いや望みとかって、ときどきそうした結果を招くものです。

特に男女関係のストーカー行為だとか。逆恨みだとかって・・・一方的に、自分の都合の好い様に解釈し。
勝手に一方的な想いを膨らませていったりとか・・・自分が知らないところで、誰かが自分のことを・・・
一方的な想いや気持ちで感情を、どんどん膨らませていってしまう・・・

最近、そうした人が多くなってきているようです。

好意って・・・相手とコミュニケーションが有るからこそ、ソコから人間関係が円満になったり。
恋愛関係へと発展していったり・・・ってあるんじゃないのかなって、わたしは・・・そんな気がします。
どんなに、誰かのことを好きになっても・・・一方的な片思いだとかだと・・・そこにコミュニケーションが
発生していくことって無いので、相手のことを想っての行為であっても、受けた方は戸惑うばかりです。

告白するという言動に移すことなく、想いは自分の心に秘めているので・・・どんどん膨らむばかり。
それは想像ではなく・・・妄想です。妄想は・・・一方的なモノで、自分の都合の好いようにイメージを
膨らませていってしまうんだと想います。想像は、相手のことも踏まえた上で考えイメージするので
自分中心だと、逆に気付けるような気がするんです。

人の想いって・・・心の状態によって、自らをも「天国」にしたり。「地獄」にしたりするだけでなく。
相手や周りの人たちに対しても、「天国」にしてあげたり。「地獄」にしてしまうこともあるんです。

「心は地獄を天国に変え天国を地獄に変える」心に留めておきたい言葉です。