コトノハ言葉の贈り物[メッセージ]の記事一覧
2008.07.09 福ちゃんによる福語録その1
2008.02.17 いまいちど冷静になってみる必要性
2008.02.16 愛を知らないことこそ・・・
2008.02.14 人生の敵は己の中にこそある
2008.02.07 己を知り 己に勝つ
2008.02.02 心の声に耳を傾けて・・・
その思いがどれだけ純粋か否か
これは僕らが最近・・・
つくづく実感している気持ちだろうと思う。
モノにしろ思いにしろ、持ち続けるよりも
手放して・・・はじめて「好かった」と、
そう感じることが多くなってくるものだ。
「無」は、僕の目指すというか・・・
憧れに近いものがあるのかも知れない。
「無」という言葉からは、何も無いような
そんな印象を受けがちだが・・・だが、
僕は、その逆だと今では思っている。
新たなる何かを生み出すためにも、
「無」は必要不可欠なのだ。
だが・・・人は、「無」にすることなく・・・
ただ、新たに求め蓄積したがるものだ。
僕自身その独りだったのは言うまでもない。
しかし、それこそが実は自分を苦しめてる
根源だったりするのかも知れないと・・・
最近、つくづく感じている。
考えてみりゃ、滑稽な話しだ・・・
人は有するモノに囚われ縛られているが、実は有しているモノほど、最後には「無」
つまり泡のように消えてしまうのである。
その泡のような幻想の有するモノのために、人は必死になってシガミツイテイルようなものだろう。
だが、実はカタチとして認識できない「無」つまり「魂」(たましい)の存在こそが、永遠に有するものなのだと、
知り実感できたとき・・・人は、無限の喜びを得られるのかも知れない。そしてソレこそが真の幸福でもある。
人は確かなモノを求めたがるが、ソレは常に不安が付き纏っているからなのかも知れない。
しかし、不確かなモノだと感じているモノの中にこそ、無限の可能性と確固たる何かがあるのだと気付くと、
不安もまた消えていくものだと知る。不安とは、自らの信念が揺らいでいるから起きているだけなのだ。
つまり・・・人は、自分で自分を不安にさせてしまっているだけなことが案外と多かったりする。
だが、自分自身の中に確固たる信念があれば・・・他人が、何を言おうとも不安になる必要もない。
だから、自然と勇気も自信も持つことができるようになっていくのだろう。
そして与えられている課題は、ただ自分に考えるための問題定義をしてくれているにすぎないと気付く。
悩み迷い難問にしてしまっているのは、意外と自分自身だったりするからだ。
なになに・・・悩み迷うことなく、大いに楽しめばいい。アレコレやってみりゃいいだけだ。
いつまでも、ウジウジしてたって何も解決はしない。アレがダメならコレをやるだけでいい。
コレがダメなら、ソレをやってみりゃいいだけだ。
そうやって、課題をクリアしながら手放していけば・・・いつの間にか、心の中から囚われも消えていく。
なぜなら・・・囚われていたのは、自分の思い込みだったり、視野の狭いモノの視方だったりするからだ。
「幸福」になりたいなら、「幸福になりたい!」という思いから囚われないことこそが「幸福」への一歩。
「愛してくれる相手に出逢いたい」と思うなら、「愛されたい」のなら・・・
先ず自分自身から、誰かを愛していけばいい。誰かを愛し、自分自身を愛せないようであっては・・・
いつまでたっても探し求めるだけの人生になってしまうだろう。
本当に純粋な気持ちで誰かを愛せる気持ちになれたとき、探さなくても必ず出逢う時期が訪れる。
そのために、必要なのは・・・前向きに捉え考え行動に移す努力と実行力だけなんだろうから。
考えや思いや感情に囚われることなく、とにかく実行し経験をしていけば、後は時が導いてくれる。
人との出逢いも「幸福」、そうした条件が整ったときにこそ与えられる褒美なのかも知れない。 −福−
福ちゃんによる福語録その1

このメッセージは、管理人のひとり『ツインソウル』(双子の魂)の福ちゃんによる
「福語録」(ちょっと変わったオバケの独り言)として、お届けしています。
サイドバーのカレンダーの「福語録」の解説版です。
「霊的真理」に近道など無い。
しかし「分析好き」になれるか、なれないかで
その啓きは・・・変わってくるだろう。 −福−
「内観」を、よくする人は・・・しない人より、より多くの気付きを得られるのだと思う。
そして、「内観」していくことで、より深く自分自身を分析できる人間ほど・・・
「霊的真理」の学びも、更に深まっていくのだと思う。
ならば・・・同じ時間、生きるのだとすれば・・・より「霊的真理」へ到達できる時間を無駄にしないことだ。
今の自分の命も限りがあるならば、その今の自分に与えられている時間も、限られているのだから。
「近道」などは、決して無いが・・・到達していくための限られた時間を、いかに有効に活用できるかで・・・
人生を終えるときに、自分が立っている場所は明らかに変わってくるだろう。 −福−:_〆ヾ( ̄(エ) ̄
いまいちど冷静になってみる必要性
想念(想いが強すぎる)ほど
どんなに好意的な想いであったとしても、
その思いが想念(想いが強すぎる)になれば、
自他を苦しめるものは無いだろう。そして・・・
カルマを生んでしまう多くの原因もココにある。
人が人を好きになることは、誰にも止められない。
たとえ結婚していても、恋人がいたとしても・・・
中には、別の誰かを好きになってしまうことも
あるだろう・・・だからといって、その想いを
簡単に貫くような言動をとれば・・・
当然、誰かを傷付けてしまうことだって起こりうる。
だからといって、嫉妬心を剥き出しにしてしまえば、
逆に、自分が誰かを失うことになるかも知れない。
人の心を縛り付けることなど、誰にもできないし。
自由にしようなどと思うことは余りにも、傲慢だ。
自分自身の「魂」(たましい)でさえ、前世から今という
現世へバトンタッチされて、そのバトンは来世へと自分が送らなくてはならないということである。
つまり・・・自分だけの感情で、言動に移してしまうことによってカルマさえも、
来世へバトンタッチしてしまうことになる。感情に惑わされること無く、冷静に現状を視れたとすれば・・・
実は、自分の中にある想念(想いが強すぎる)は・・・前世からのカルマだったかも知れないのである。
感情と本当の自分の気持ちとは、相反する場合が多いものだ。
傲慢な嫉妬は、相手を愛しているからではなく。相手を信じていないことや。自分に自信がない。
そうした気持ちが自分の感情を突き動かしているだけの場合が多い。
時には冷静になって・・・自分自身のことも振り返ってみた方が、いいってこともあるだろうから。
自分が抱いている、その感情が本当に必要なものなのかどうか。それが本当にベストなのか。
いまいちど、冷静になって考える時間を持つことが・・・自他を幸せへと導くことだってあるのだから。
−福−
愛を知らないことこそ・・・
「愛されたい」と望む人ほど
実は、本当の「愛」を知らないだけなのかも
知れません。本当は愛されてきているのに、
自分の想い描いてるモノだけを、もしも・・・
「愛」だと思い込んだり。勘違いしてたなら。
あなたは永遠に、「愛」に気付けないままに
なってしまうかも知れないのです。
人が想い描く「愛」というモノは、とかく・・・
自分にとって都合の良いモノが多いような、
そんな気がしてなりません。事実・・・わたし自身も、以前は・・・そうでした。
でも、それは本当に自分にとって・・・です。(苦笑)
人が人を愛することに、定義なんか本当は必要ないんだと思います。だから・・・自分が想い描いてる、
そんな愛され方じゃなかったとしても・・・もちろん、その愛情表現が、歪んでしまっているモノであれば、
その愛は「愛」とは呼べなくなってしまうでしょう。
いくら好きでも、どんなに愛していると言ったとしても・・・相手の心身を傷付けたり。軽んじたりする・・・
そんな言動の中には、逆に愛など存在しないのかも知れません。たとえば、物質的な部分でモノだけ
買い与えるだけであれば、ソレは本当の「愛」とは呼べないでしょう。本当に愛しているならば・・・
ときにはガマンをして「耐える」ことを、教えてあげることこそが本当の愛情だからです。
自分の思い通りに応えてくれることを、愛されてるという判断基準にしてしまうと・・・「真実の愛」には、
なかなか気付けなくなってしまうものです。「愛」に気付くためには・・・自分自身が一歩前に踏み込む。
それは、自分自身を知ることから始まるのかも知れません。
本当の自分は「こうしたい!」だとか。相手に対して「こうしてほしい!」だとか思っているとして・・・
あなた自身が、本当に・・・そのための努力をしてきているのか。あなたの人生は、あなた自身が
選択し決めていくことだと、本当に自覚できているのでしょうか?そして、そのための努力は・・・
愛情の表現方法は、人によって様々です。100%の愛を持っていても・・・そのうちの10%しか、
表に出せない人もいれば。たった10%しか愛していないのに、それを・・・100%も愛しているかのように
振舞ったり。取り繕ったりする人だっているのです。本当に愛してくれているのは、ドチラなのかさえ・・・
気付けない自分でありながら、相手のせいだけにしてしまうのは・・・あまりにも「愛」を知らなさすぎます。
自分の気持ちに100%応えてもらえないと思うのか。それとも、たった10%しか表現してもらえなくても、
本当に愛してくれてると思えるのか。コレは・・・自分なんですよね。相手に対して、どうこう思う以前に・・・
自分自身が、それに気付くことができなければ・・・どんな「愛」も感じることはできないのかも知れません。
そして、自分自身が間違った「愛」の定義を自分の中に作り上げてしまっていて、その中でしか・・・
相手の「愛」を感じ取れず、認められず、受け入れられないことが・・・本当は・・・自分自身をいちばん
不幸にしている原因なのかも知れません。何だか、わたしにはそんな気がしています。by.Yuka
人生の敵は己の中にこそある
生きるのが辛く苦しいのは・・・
ある意味・・・当たり前だろう。
人と価値観が違ったりすること、
これも・・・ある意味で当然である。
人は、つい自分の外・・・つまり他人に対して、
アレコレ思いがちなものである。 だが・・・
人生の中で最も手強い相手は・・・
自分自身なのである。
他人によって心を傷付けられたと思っているが、
実は、自分自身で自分自身を傷付けているのだ。
つまり・・・それだけ自分で、自分のことを知らず。
自分自身が、いちばん自分を理解していない。
自分自身に、Yes・Noという選択肢があるにも関わらず。
自分がNoと言えなかったことで、傷付いたことを相手のせいにしてしまう。
自分の人生は、誰のためにあるのか。その根本的なモノと向き合うことなく、外ばかり見ている。
そんなことじゃ・・・いつまでたっても、生きることが辛く苦しいだけで・・・人との価値観ばかり見比べる。
それだけの人生にしかならなくなってしまう。実に・・・視野の狭い中での話しだろう。そんな気がする。
生きることを辛く苦しくしているのは、自分か自身が・・・自分自身を、よく理解していないからで。
人との価値観が気になったり。理解されたいとばかり思うのは・・・自分を知らないからである。
自分自身のことを、解かってくれば・・・他人に対して、思いやりを持って接することができる。
それは、本当に厳しく向き合わなくてはならない存在が自分自身だと感じるからだろう。
本当の辛さや苦しさを自分自身が知ってる人は・・・逆に、他人に対して優しく接することができる。
なぜなら、本当に辛く苦しい思いをしてきた自分自身と向き合ってきているからにすぎない。
愚痴る前に嘆く前に、先ずは自分自身が・・・いちばんの敵だと知ることだ。そして・・・
自分こそが、いちばんの理解者だと気付くことである。 −福−
己を知り 己に勝つ
己を知るということは
「内観」・・・・・
この「内観」が、できているかどうかだろう。
人によっては「内観」することなく。つまり・・・
己のことさえ、よく知らずにいるくせに・・・
他人に勝つことばかり考える人がいる。
本当に勝たなくてはならないのは、
自分の「心」(こころ)の弱さなのに。
それに気付くためにも「内観」は必要となってくる。この「内観」をしている人ほど、
自らのことも理解している。だからこそ相手のことも理解することに努力ができるのだ。
だから、他人に対して「勝とう!」だとか。「勝ちたい!」などと・・・思わなくなってくる。
なぜならば、人にとって己こそが・・・自分の足を引っ張り振り回す、いちばんの敵だと知ってるからだ。
「内観」することで、自分自身の弱点に気付くことだ。弱さを知り認めることが、何よりも自分を知る秘訣。
他人に勝とうなどと思っている間は、本当に大切なことにも気付くことなどできないだろう。
先ずは、自分自身の過去とも向き合いながら・・・「内観」すること。コレを優先していければ、
自分の性格も人生も、自分自身で変えていけるということにも気付いていけるだろう。
あなたは、本当に自分自身が知る必要があるのが自分自身だということ。そして・・・
あなた自身が本当に勝たなくてはならない・・・その相手が自分自身だということに気付いてますか?
もし、まだ・・・気付いてなかったら、いまから「内観」し自分自身を知り。自分自身に勝つ努力をしてほしい。
−福−
心の声に耳を傾けて・・・
眼を閉じて耳の方へ意識を向ける
不思議だなぁ〜 こころの中が、あったかぁ〜くなる。
穏やかな春の海を眺めているみたいに感じる。
「心」(こころ)のことに関するところに、
インナーチャイルドって言葉を見聞きすることがあります。
詳しいことは、あまりよく知りませんが・・・でも、自分の
こころに、眼を閉じて耳を澄ませて意識を傾けていると。
子供の頃からの思い出を、大切そうに箱の中に・・・
そっと出し入れしている。そんな小さな自分がいる。
そんな気持ちにさせてくれるんです。
あなたは、そんな子供の頃の自分と向き合って、
あの頃のことを懐かしみながら、思い出すことってありますか?わたしは・・・時々そうやって、
思い出の箱をゴソゴソするのが、好きなんです。お母さんに怒られて・・・しょげてる、わたしの小さな心。
おねえちゃんの大切なモノを、コッソリ学校へ持って行ったりして・・・トモダチに自慢したりしてたのに、
バレてしまって・・・母に「この手が悪いのか!」なんて、灸をすえられたっけなぁ〜熱かったよねぇ〜
弟を自転車の後ろに乗せてて・・・ケガをさせてしまって、あのときもイッパイ叱られたっけ・・・
でもね・・・あのときの、わたしの心は心配で心配で・・・ホントは、病院まで・・・追いかけて行ってたけど。
素直に「ごめんなさい」って言えなかったのは、弟が乗りたいって言ったから・・・なんて思ってたから・・・
もぅ、お母さんに直接、いえなくなってしまったけれど・・・わたしは、時々そぉやって想い出して・・・
「心」(こころ)の中で「ごめんなさい」って言ってる。だから、また・・・いっぱい泣くけれど・・・
それは、あの頃の自分とは・・・ぜんぜん違う、いまの・・・わたしのが、「心」(こころ)から思い。
素直な気持ちで流せる涙なんだよね。だから(^人^)感謝♪の気持ちで・・・幸せになれる。
もし・・・あなたが、過去の自分と向き合うことに背を向けていたとしたら・・・
「心」(こころ)の中に、いまの自分を待ってくれている・・・そんな小さな自分が居ることを・・・
ほんの少しでもいいので・・・ときどき、まぶたを閉じて耳を澄ませて「心」(こころ)の声に・・・
意識を傾けてあげてみてください。きっと・・・嫌な思い出だったとしても、いまの自分には・・・
とってもステキな宝物に変わってくれているはずですから・・・
by.Yuka
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