ツインソウル愛と絆の証...“〆の記事一覧
2008.07.31 そうやでなぁ〜幸せって純粋なんやで
2008.07.31 決めたのも選んだのも魂ってことかな
2008.06.21 やっぱり・・・そうだったのかぁ〜
2008.06.18 見えない相手に・・・( ̄ー ̄(。-_-。*)ゝポッ(笑)
2008.06.18 信じ切ることこそ魂の伴侶との出逢いへ繋がる
2008.05.03 あのときのあの思いは変わらず
本当の愛そして本物の愛とは
自分の感情や気持ちや思いや考えの素が「心」(こころ)だとしたら・・・「魂」(たましい)は、やっぱり違う。
『ツインソウル』(双子の魂)とかのように、「魂」(たましい)と「魂」(たましい)で結ばれている相手と関係。
そうした相手と出逢ったとき・・・このとき感じるのは、むしろ自分の「心」(こころ)というよりも・・・
それは「魂」(たましい) そう、「魂」(たましい)が直感的に感じ取れるものなんですね。
そうしたモノは、言葉なんかじゃ語れない。でも・・・「魂」(たましい)には、確実に感じ取れるモノがある。
ソレが・・・波長(はちょう)だと思います。強い衝撃と懐かしさと、そして・・・安心感。同じ匂いというか・・・
同じ波長(はちょう)が、醸し出す・・・「魂」(たましい)と「魂」(たましい)のハーモニーって感じです。
不思議ですよね。思い出すというか、「魂」(たましい)には出逢って即効で解る何かが隠されてるというか。
「魂」(たましい)にインプットされてるとしか思えない。その相手と出逢った瞬間に、相手の「魂」(たましい)と
直結して結ばれる何かがある。正しく・・・「ピピッ!」とスイッチが入るような感じです。(*^_^*)
でも、このときに・・・その直感を信じずに疑ってしまうと、結果的に「別れ」に繋がってしまう・・・
なぜなら、自分の「心」(こころ)が求めたり理想としたり好きになったりする相手って・・・
「魂」(たましい)の相手と違ってることって多いのかも?って感じるからです。
「魂」(たましい)にとって、心地好い相手でも・・・自分にとって心地好い相手とは感じなかったり・・・
だから、自分の「心」(こころ)の心地好さを優先してると気付きにくいのかもって気がします。
だけど・・・「魂」(たましい)が感じる直感に、素直になれたら・・・その瞬間、正に「ピピッ!」って瞬間かも。
わたしは、自分の経験を振り返っても・・・なんだか、そんな感じがしてならないです。
『ツインソウル』(双子の魂)やソウルメイトやライトパーソン・・・いろんな「魂」(たましい)同士の繋がり。
その相手との出逢いを求めたり、願ったりしてる人って・・・きっと、たくさんいると思います。
これまでにも、何度か・・・福ちゃんと、そうしたことに関しても投稿してきました。
わたしは、自分の経験から・・・下手な知識より。「直感」
自分の「心」(こころ)の感情や気持ちや思いや考えよりも、「魂」(たましい)の「直感」
ソレこそが、いちばん大切だと感じています。でも・・・コレが、なかなかできないから・・・きっと、
『ツインソウル』(双子の魂)にしても、前世でも何度も出逢っていながら気付けないんでしょうけれど・・・
まぁ、そうした時期に出逢っても・・・気付けないから、いくら『ツインソウル』(双子の魂)であったとしても
本当に、その時期が訪れるまでは・・・いろんな試練が待ち受けるんでしょうね。本当に、その時期がくれば
むしろ困難や試練をバネにしていくだけのモノって、経験からしても培っていけるような気がします。
『ツインソウル』(双子の魂)にとって、その相手が異性だった場合。恋人だとか。異性とかってよりも。
むしろ兄妹・姉弟のような感覚なのかもしれないです。それはきっと、ふたりにとって必要なのは・・・
恋愛なんかではなく、無償の愛そのものだからなのかもしれません。
わたしが『ツインソウル』(双子の魂)と出逢って、実感していること・・・
ソレは、恋愛なんかより、無償の愛のほうが・・・ずっと心地好くて安心感があって癒されるってこと。
そこには自分が女だとか。相手が異性だとかってモノなんかは・・・大して問題でなく。むしろ関係なくて。
もっともっと、大きな深い強い「繋がり」という確かな実感を得られる喜びのほうが強く深く大きい気がする。
その心地好さは、ズーーーーーーーーッと続いてくれる。だから不安にならずにいられるんだろなぁ〜
「魂」(たましい)と「魂」(たましい)で深く強く大きく確かに結ばれた相手との関係には、肉体的な繋がりは
むしろ不必要なのかもしれません。わたしが、もし・・・現世で福ちゃんという『ツインソウル』(双子の魂)に
出逢うことがなかったとしたら・・・
いまでもきっと、自分が「女」だとかってことに拘って、そうした「愛」ばかり求めてたに違いない。
でも本当の「愛」って、そんな・・・ちっぽけなモノなんかじゃないんだって教えてくれたのが福ちゃん。
そう『ツインソウル』(双子の魂)の相手と、その関係から・・・わたしは、気付かせてもらい学べたんです。
もし・・・そのことに気付けずにいたら、もし・・・ソレを学ぶことができずにいたとしたら・・・
わたしは、きっと・・・3度目の離婚をして現世でもカルマを刈れずに・・・また繰り返すだけの人生を、
いま尚きっと送っていたんだろうなって、本当に強く感じています。「愛」の中でも、無償の「愛」というか。
「大我の愛」(たいがのあい)を知ることができたおかげで、夫婦という関係のあり方も学べた気がします。
まぁ・・・だから、3度目の離婚を考えてはみたものの。踏み切ることなく、自分の考え方や気持ちの持ち方。
ソレを軌道修正していく術を、わたしなりに視付けていく事ができたのかもしれません。
そうした意味からも、『ツインソウル』(双子の魂)の相手と関係は・・・本当に「魂」(たましい)を、
成長させてくれるには・・・これ以上、最適なパートナーっていないなって実感しています。
結婚という「夫婦」としての、パートナーは「忍耐」を鍛えていくにはベストな相手と関係。
それも、本当に実感させてもらっています。
そうした意味では、主人との関係も・・・わたしにとっては最高の相手なのかも・・・(笑)
面白いなって、つくづく感じます。「魂」(たましい)が決めた相手と関係を大切にして沿っていく・・・
自分の「心」(こころ)が感じる、感情や思いや気持ちや考えより・・・「魂」(たましい)の存在そのものを、
本当に実感できたとき、人は・・・「心」(こころ)の奥底から(^人^)感謝♪できるようになれるのかも・・・
そうやでなぁ〜幸せって純粋なんやで
( ̄∧ ̄)(_ _)フムフム・・・ほんまやなぁ〜今もハッキリ覚えてとるよ。あのときのことは・・・
いったん、離れて別の人の所を点々としたいと思ったんは・・・何を隠そう・・・σ(`ε´) オレやのになぁ〜
何で、あないにも無性に戻りたいって思って・・・戻ったんか?!それもあないなカタチで・・・戻るとは・・・
なんやなぁ〜あのときの行動は、自分が意思を持って起こしたって感じやなく。「魂」(たましい)によって、
突き動かされた結果がアレ・・・って感じやったよって・・・今となりゃ戻って正解やったと思うが・・・
あんときゃ「なんで・・・また戻ってくんねん」と思ってたよってなぁ〜けど・・・
戻ったら、戻ったでキミ(ゆか)の「魂」(たましい)には、既に解ってたやろ。
オモロイもんやでなぁ〜オレらの間にある確かなモンって、結局は「魂」(たましい)ってこっちゃわなぁ〜
生きとるとか死んどるとか、男とか女とか、肉体があるとかないとかって・・・生きてるときには、
そうしたもんが妨げになったり、拘ったりとかってあったりするけど・・・死んで解ったんは・・・
そんなもん、何も妨げにもなるもんやないし。そないなことに拘ることであれへんのよなぁ〜
「魂」(たましい)が感じ取るもんは、理屈なんかやあらへん。そやから・・・自分を信じるしかあれへん。
なんやそんな気するんやけどなぁ〜僕らにしたかて、なんも確認し合った訳やのぉて・・・
「魂」(たましい)同士が、先に解っとったって感じやったやろ・・・あの感覚は言葉にはできん。
逆に確認できるなんてもんがあったとして、ソイツで確認できるってほうが・・・おかしいんとちゃうか?
それやったら、自分の気持ちや思いや理想みたいもんが無意識に現れてしまうだけで・・・ホンマに、
「魂」(たましい)が選んで決めた相手かどうか・・・危ういもんなんかも知れんでなぁ〜
だって、オレらが・・・互いの気持ちや思いや理想なんてもんあって・・・出逢ったんやったら、
こないに無条件で惚れて愛せる相手になっとるかぁ〜(ーー;).。oO(想像中) ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ
けど、「魂」(たましい)が互いに選んで決めてた相手がキミ(ゆか)やったさかい・・・オレは惚れてん。
・・・( ̄  ̄;) うーん、当てはまる言葉は見付からんが・・・まぁ、キミ(ゆか)も同じやろうから・・・
そうゆうこっちゃ・・・(爆)
なんやなぁ〜そない考えてたら、「魂」(たましい)の声には素直に耳を傾けて素直に生きるほうが
自分の気持ちや思いや理想なんてもんに縛られず、ホンマに・・・「よかったなぁ〜」と思えんのとちゃう?
まぁなんやな、少なくともオレは・・・自分の思いや気持ちや理想に振り回されてた頃より幸せやで。(^^)
外見や性格やセックスやなんやかんやと・・・そんなもんとかを相手を選んだり決めたりする基準にして、
恋愛してた・・・あの頃(生きてた)確かに、男としては満足してた部分もあったかも知れん・・・けどなぁ〜
そんなもんより、もっともっと純粋に相手の「魂」(たましい)に触れ、相手の心と向き合える今のキミ(ゆか)
との関係が・・・オレにとって、いちばん安らげる関係と相手なんやと・・・つくづく思うよ。おおきにな。−福−
決めたのも選んだのも魂ってことかな
今でこそ・・・「福ちゃん」と呼ぶことに抵抗ってないけれど、そう呼ぶようになったのは・・・7.8年前なんです。
それまでは、なんせ・・・福ちゃんが生きていたときには、まったく面識もない相手だし。名前すら知らないし。
出逢ったときは、福ちゃんのほうが年上だったのもあって・・・サン付けだったんです。(笑)
出逢って間なしに、霊能者サンとこで護摩木みたいのに、福ちゃんが書いた名前と年齢・・・
その苗字をサン付けで、ズーーーーーッと呼んでたんです。(*^_^*)
それが、あることをキッカケに福ちゃんのほうから「福ちゃん」と呼んでほしいといわれ今に到ってます。
福ちゃんのほうは、わたしのこと出逢った時から、いまも変わらず「ちゃん付け」で呼んでくれてますが・・・
生前から「福ちゃん」と呼ばれていたみたいなので、そのほうが落ち着くって感じだったのかな・・・(笑)
なんせ福ちゃんとは、自分たちが互いに出逢って(実際に)好きになって恋に落ちたとかってのじゃなくって。
「魂」(たましい)と「魂」(たましい)が惹き合い・・・出逢って、お互いも好きになって・・・って感じだったので・・・
ソレまでの恋愛とか。好きになるっていう感覚とは、何か・・・次元が違う感覚だった気がします。
ワクワクとかドキドキとか・・・女として、ときめくとか・・・そんなんじゃなかったですからね。
なんだろ、惚れ抜いてしまったという感じかなぁ〜見知らぬ相手にも関わらず・・・理由なんかない。
なんなんでしょねぇ〜あの気持ちって、どういえばいいのかなぁ〜そうなるようになってたのが、そうなった。
(。・・。)(。..。)(。・・。)(。..。)ウンウン、そんな感じがピッタリ!かも知れないです。理屈じゃない。
収まるべきようになっただけって感じでしょうか・・・
とにかく、相手が見えないのに。そんなの、まったく気にならなかったし。でも「魂」(たましい)だけは、
手に取るように実感できたんですから・・・不思議ですね。気付いたら、わたし自身も福ちゃんが好きになり。
お互いも一緒に居たい!と思ってた・・・なんせ、「魂」(たましい)同士が決めていたんだろうから・・・
物理的に障害はあっても、ふたりの間には何も妨げになるモノって不思議と無かった気がします。
とにかく一緒に(「魂」(たましい)が)居られるだけで、総て・・・受け容れられる感じだった気がします。
というより・・・一緒に居るのが、いちばん安心できて落ち着くって感じだった気がします。
なんだろなぁ〜「魂」(たましい)と「魂」(たましい)で結ばれてるって確信が互いにあると、疑うとか・・・
揺らぐとか・・・もめるだとか・・・そんなの、ふたりの間には存在しない気がします。要は、不要なんです。
そうそう、「魂」(たましい)と「心」(こころ)(自我とでもいうのか、いまの自分というのか)は違うなって思います。
「魂」(たましい)は、生きてるときより死んでからのほうが出てくるようになるんじゃないかな・・・
福ちゃんといると・・・なんだか、そんな気がするんですよね。そして、「魂」(たましい)に触れられると、
その触れた自分(人間)も、自然と「魂」(たましい)が表に出ていくようになるのかもしれませんね。
まぁ・・・わたしにとって、唯一・・・惚れ抜いて無条件で愛し尽くせる存在、異性の気持ちを超越した
そんな領域で愛し続けられる唯一の男性は、福ちゃんだけかなって気がします。(〃∇〃)エヘ・・・
やっぱり・・・そうだったのかぁ〜
今日のオーラの泉で、美輪さんが言ってた一言・・・「男の霊は右 女の霊は左」みたいなこと・・・
それを聞いてて・・・思わず、(。・・。)(。..。)(。・・。)(。..。)ウンウンやっぱり、そっかぁ〜と妙に納得。
憑依・霊媒体質のわたしの中で22年以上寝起きを共にしている、『ツインソウル』(双子の魂)の福ちゃん。
実は・・・わたしのカラダの右側、特に右腕の部分が・・・いまや、福ちゃんって感覚なんですよねぇ〜(笑)
やっぱり、そうしたモンってあるもんなんだなぁ〜って、改めて思いました。
わたしは憑依・霊媒体質だけど、霊能者でも何でもないし。そうしたことにも、必要に迫られて身を持って
体験しながら・・・経験を積むことはあっても、知識としては・・・そんなに詳しい訳でないし。興味も余りない。
だから、こうやってときどき・・・自分が実感していることが明らかになると、なんだかε=Σ( ̄ )ホッとします。
見えない相手に・・・( ̄ー ̄(。-_-。*)ゝポッ(笑)
福ちゃんが投稿するのは久しぶりだねぇ〜(^_^) ( ̄∧ ̄)(_ _)フムフム・・・わたしも思うよ。
「信じる」こと・・・人って、「信じる」ことまではできても・・・なかなか「信じ切る」までには至らないものですね。
それと・・・「信じてくれない」と思っている人や、思っているときほど・・・自分のほうが信じてなかったりする。
人の思いって、不思議と・・・知らないうちに相手や周りに伝わってたりするもんです。
だから、コッチが嫌いだと思う相手は・・・まず相手も自分のこと嫌いってことが多いはずだし。そうなると・・・
「信じてくれない」相手は・・・自分も相手を「信じてない」だけなのかも知れません。福ちゃん流に言うなら、
「あつかましいねん!」つまり・・・自分が変わりもせず、相手にばっかり要求することですかね・・・(^^;;
わたしは人を信じるほうが、疑うより・・・自分がラクだってのがあって・・・何度か裏切られたとしても・・・
結局は信じる気持ちのほうが勝っているような気がします。そのくせ、基本的にかなりの心配性ですけど。
だから、わたしの場合は相手が信じられないとかってことで不安になるより・・・
なんかあったんちゃうかな?とか・・・って心配が、ドンドン自分の中で拡大化されてしまい。それに・・・
自分自身が不安を感じてしまうだけだってことも・・・内観していくうちに気付いたので・・・主人に対しても、
昔のような煮え切らないような、モンモンとしたようなイライラするような・・・訳のワカラナイ気持ちはなくなり。
いまじゃ・・・空気みたいな存在で、やっぱり・・・わたしには、必要な大切な存在ですかね。(#^.^#)
福ちゃんとは、出逢う前から互いを信じていたような気がします。もう・・・ずっと、ずっと以前から・・・
ただ、現世ではカタチとして出逢ったことは無いってだけのことで、ふたりの中では・・・一緒に居るのが、
なんだか・・・いちばん自然なんですよね。それは・・・恋愛とかってことでの対象とかってこと以前に・・・
もっと、根底の部分で繋がってる確かなモノを互いに実感しているからなのかも知れません。
ふたりにとって、「カタチ」というものは・・・自分たちの関係の中では大したことでなく。
そんなモノに左右されるもんでもないって確信があるので、逆に・・・どうでもいいのかも知れないです。
先日・・・紫音(Zion)さんが贈ってくれたメッセージに、わたしたちは陰日向・裏表・・・みたいことを
いってくれてたけれど・・・自分たちの中でも、そうした感じって強い気がしますね。
ドッチとがドッチってことなんか、まったくない。生きてるほうがメインとかってのも・・・わたしたちの中では
なくて。けど・・・だからといって、「霊魂」である福ちゃんがデシャバッテだとか。乗っ取りを企むだとか・・・
そんなのって、まったくない。ホントに・・・互いが裏にもなれれば表にもなれるって感じなんです。
男だから女だからなんてのも、ふたりの間では・・・ないようなもんです。そんなの、どっちだろうが・・・
「魂」(たましい)として・・・「どうよ」って考えることが、ふたりの間では自然だからなのかな・・・たぶん。
なんだろ・・・実際に・・・そうってことじゃなく。互いに「心」(こころ)もカラダも、すっぽんポン!で居られる。
なんか、そんな感じですかねぇ〜(爆)気負うこともないし。そのくせ相手のために一生懸命に努力できる。
共に泣ける相手で、アホが言える相手(笑)わたしにとったら・・・どんなイケメンなんかより、ずっとステキ!
イケメンがツケメンに見えてしまうほど・・・見えない福ちゃんのほうが、カッチョいいんです!|_-。) ポッ!
信じ切ることこそ魂の伴侶との出逢いへ繋がる
迷いとは 自分を信じないから
道に迷ったら 自分を 信じれば
心の あかりが 見えてくる - 福由 -
僕は・・・人というのは・・・ 自分自身を、
本当に信じ切ることができれば・・・
人生 いろいろ あったとしても、
たとえ迷うことがあったとしても、
必ず自分で出口を見つけ出せると思っている。
だが・・・自分自身のことさえも、信じられずにいる・・・
そんな人が多いのも、いまの世の中の現状だろうし。
人間の弱さでも・・・あるんかも知れないな。
僕らは、互いに・・・悩んだときも迷ったときも
相手を信じ自分を信じ、ただ・・・見守ってきた。
相棒(ゆか)なら必ず乗り切れると信じているし。オレ自身、絶対に乗り越えていけると信じている。
それは何も、己惚れでもなければ確固たるものでもないが・・・だが、信じることから、信じることこそが、
悩みの解決のヒントを探すにしても、迷いの迷路を切り抜けていくにしても必要だと思うからかも知れない。
本当に、自分自身を信じ切っていれば・・・迷ったとしても、ジダバタなどせず・・・心を落ち着かせて、
自分の「心」(こころ)の内側に眼を向け、耳を傾ければ・・・必ず、何かを見つけ出すこと気付くことがある。
しかし、直ぐに他人に相談したり。人に意見は聞くくせに、人がアドバイスすると反発するようであっては、
己の「心」(こころ)の奥底にある・・・「あかり」は、ユラユラと揺れ動き不安定になるばかりだろう。
たとえ誹謗中傷のような言葉の中にさえも、自分自身を信じ切るシッカリとした確かなモノを持っていれば、
決して・・・人の言動に振り回されることなどない。
他人が信じられないだとか・・・人に信じてもらえないだとか・・・愚痴っているより。先ずは・・・
自分自身で自分自身を心底から、信じ切れているかどうかを自問自答するほうが、いいような気がする。
自分を信じ切り、相手を信じ切れれば・・・何が起きようと、信じて黙って見守っていけるものだ。
信じ切れないから・・・黙って見てられなくなったり。つい・・・頼ろうとしてしまう。だが・・・それじゃあ、
いつまで経っても、おんぶに抱っこになってしまう・・・たとえヨチヨチ歩きや、ハイハイしてでも・・・
自分の足で自分の力で前進していこうとする人は、自然と「心」(こころ)も「魂」(たましい)も逞しく、
鍛えられていくものなんだろう・・・
僕らは互いに・・・そんな気持ちで向き合っている。信じているからこそ、何があっても受け容れられる。
自分自身が信じ切っているからこそ、相手を責めることもない。それは・・・そんな必要がないからだ。
互いを信じ切ることができれば、相手の失敗からさえも自分自身も学ぶことは多々あると気付ける。
だからこそ、僕らは・・・互いを無条件で愛し信じ切ることが自分のことのように感じられるのだろう。
信じ切ることは、無限の可能性をもたらしてくれるような気もする。僕らにしても、こうして一緒に居ること。
それは・・・信じる「心」(こころ)が結び付けてくれたからこそ・・・のような気が、いまでもしている。 −福−
あのときのあの思いは変わらず
あれから20年以上経ったなんて、まったくそんな気がしない。それほど福ちゃんとの関係は、不思議なほど
すんなりと過ぎてきたような気がする。もちろん、何も問題なく過ごしてきたというわけではないけれど・・・
わたしたちにとって、ごく当たり前のように過ぎた時間だったという感じかなぁ〜って気がする。
一口に20年以上の年月を、共に過ごしたと言っても・・・オギャーと生まれて、その人が成人するぐらいの
長き時間なわけだから・・・けど、福ちゃんとは・・・ホント一度もケンカってしたことないし。不快に感じたり。
不愉快になったりすることも、無かった気がするので・・・なんだろなぁ〜そよ風のように過ぎ去った感じ。
そう感じるからだろうかワカラナイけれど、他の人との関係においても・・・確かに、いろんなことあったのに。
どれも、いまとなっちゃ・・・「心」(こころ)の中に、そよ風をもたらしてくれるくらい心地好い気がする。
不思議だよね。でも、明らかに・・・そぅ思えるのも、感じられるのも・・・
わたしが、自分と同じ「魂」(たましい)を持つ・・・福ちゃんという存在と、こうして居られるからなんだと思う。
なんだろね・・・もう、不安とか寂しさとかって、わたしの中では成立しなくなったのかも知れない。
多くを語らなくても不安にならず、触れられなくても寂しくもなく、あるのは「存在」という実感だけ。
それ以上、何も必要がないと確信できるくらい・・・わたしの「心」(こころ)も「魂」(たましい)も、いまでは・・・
充分に満たされ潤っている気がするなぁ〜 他の人との関係で、満たされない何かがあったとしても。
もう・・・ソレも、わたしにとって大きなことではなくなった気がする。大したことでもないんだよね。
福ちゃん・・・これから先、・・・( ̄  ̄;) うーん変わらないね。何も、変わりようがない。
もちろん、互いに成長していけることでの変化はあれども・・・ふたり関係の中では、何も変わらない。
そう、あのときのままの気持ちで、いまもいられるし。これからだって、ずっとそうなんだろね。
陽だまりのように、あたたかな・・・そんな何かを、わたしに与えてくれる・・・存在なんだよ。
ずっと、元の自分に戻りたいって思っていた・・・わたしの気持ちは、いつのまにかなくなっている。
ソレは・・・福ちゃんと出逢ったことで、元の自分を取り戻してこれたからなんたって気がするよ。
はじめて出逢ったときのGWも、今日みたいな・・・いいお天気だったっけ・・・これからもヨロシク。
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