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〆光に向かって①[気付き学び]

憎しみをも愛する心(こころ)

 ←この国の民主主義って? →ソレでもヤッパリ解からない
別途のブログで「戦争」や紛争や事件などを扱うようになってから、つくづく人の「心」(こころ)について
考えさせられることが多くなりました。またというモノに対しての、捉え方も変わってきたかな?

よく福ちゃんが、人の「心」(こころ)の中にある感情や想いというものには、それに対して真逆となる
「対極」がある気がすると、以前から話してくれてました。

つまり・・・好きという想いや感情の裏側に、
真逆の「嫌い」という感情や想いが実は隠されているということです。

たとえば、恋愛感情とかといった男女関係のことだけに限ったことではありませんが・・・
すごく好きな相手ほど、その相手に自分が裏切られただとか。その相手を自分は、すごく愛してるのに。

相手が、本当は・・・それほどまでに自分を愛してはくれてなかったんじゃないかと、感じたときだとか。
自分は、相手に解かってほしい。理解されたいと想っているのにも関わらず・・・理解されてないと想った。

そんな・・・とき、それまでスゴク大好きだった相手のことが、顔も見たくないほど大嫌いになったりして。
あんなに愛してたはずなのに、その愛情は・・・憎悪や嫌悪に変わっていったりすることってあります。

そして・・・好きな気持ちや大切に感じてた相手ほど、対極となる真逆の気持ちや想いも強くなってる。
不思議ですよね。あんなに好きだったはずなのに・・・あんなにも愛していた相手だったのに・・・

わたしは最近、戦時中に特攻などで命を落としていった人たちの気持ちを、あえて感じ取りたいと想い。
毎日のように・・・そうした映像と向き合って、当時の人たちの「心」(こころ)に近づけるよう意識してました。

それは「戦争」という中にあるに、どこか矛盾するものを感じたりしてたのもあるからです。

「A requiem 特別攻撃隊の真実」の中に登場している実在の、特攻兵たちの中には愛する家族がいて。
また独身だった方にも、愛する恋人や肉親がいる人たちが・・・ほとんどだった訳ですが・・・

それでも彼らは、自分の命と引き換えに守るために旅立った訳です。その「守る」という中には、もちろん
公の想いもあれば個人的なものもあったはずです。

またカタチの上では、志願してとなっていても・・・実際の彼らの胸の内が、
本当は・・・どうだったのかは、きっと誰にも察することはできないでしょう。

「戦争」という中に存在するというものは、実に矛盾しています。恐らく誰もが、解かってたはずです。

憎しみの中からは、憎しみしか生まれてこないということを・・・それなのに、人が人を殺し合うのが「戦争」
A requiemのブログのサイドバーに、YouTubeのプレイヤーを貼ってるのですが・・・その最初の映像は
マイケル・ジャクソンの「HEAL THE WORLD」という歌です。

マイケルの歌声も、曲のイメージも・・・とっても素敵です。残念ながら、わたしには歌詞の内容などは
一切、理解できないのですが・・・映像が「戦争」と、リンクするような内容になっているのですが・・・

ラストにかけての映像が、とっても好きです。

戦場にいた兵士たちの元へ、笑顔の子供たちが・・・何処からか集まってきて。お花を差し出したりします。
そのうちに、子供たちに感化された兵士たちが自らの手に持っていた武器を手放していくとった感じです。

わたしは、この映像の光景を見ていて・・・以前「TWIN SOUL_Love  ―わたしの前世の記憶?」と題して、
投稿した中で、アニメ【チストみどりのおやゆび】のことを少し書きました。

そのアニメの話しが、そんなような内容になっていて・・・とても重なるものを感じながら見てました。

さっきも書きましたが「憎しみの中からは憎しみしか生まれてこない」ということを、考えたならば・・・
本当に「戦争」というものや、争いごとや・・・それは国家レベルであっても。個人的なようなものでも。

嫌ったり・憎んだり・恨んだり・妬んだり・・・そんなネガティブなものに対しては、対局してるもの。
つまり・・・真逆のが、そうしたものに対してこそ必要なのではないかと想うんです。

もちろん、それは簡単なことでは決してないだろうと想います。「憎しみを愛する」ことでもあるからです。

けれど・・・もし、その憎しみが自分の思い過ごしや。勘違いや。身勝手な感情だったりとかからであって。
相手を嫌いになったとか。相手に対して許せない感情があると想い込んでるだけだったりだとしたら・・・

そんな、簡単に嫌いになれるような・・・そんな程度のだったの?なら・・・それは、きっと愛しても
いなかったのかも知れないって、わたしは想ったりします。それも錯覚だっただけなのかも・・・

よく宗教では、人間は神の子だと表現されたりします。わたし自身も、そぅ想っています。わたしにとって、
「神さま」と自分なりに表現したり、言葉を使うことはあっても。特に特定の対象となる存在は持ってません。

イメージ的には、和洋折衷でしょうか?(^^)外見的には洋風的なイメージなのですが、「心」(こころ)は、
仏さまの御心を持たれてる・・・そんなイメージです。でも、微笑みは東洋的なのです。(笑)

まぁ・・・そんなことは、どうでもよいのですが・・・その神の子である人間であるならば・・・ヤッパリ、
それに見合うような「心」(こころ)を、自分自身が持っているのかってことって、わたしは大切な気がします。

わたしも、自分の気持ちを受け入れてもらえてないと感じたときは、一時的に顔も見たくないとかってこと、
実際あって主人とも別居したりとかも、してきたりしてきました。(苦笑)でも嫌いには、なれないです。

相手が、自分を好意的に想ってなさそうだとか。好くは想われてないかなぁ?って感じることは、あります。

でも・・・だからといって、ソレに対してアレコレ想って言っても、かえって状況は悪化したりするばかりで・・・
そんなふうに感じるようになってからは、一緒に居るってことだけでも。

それが、相手の気持ちなんだなぁと最近は感じるようになって、
囚われの「心」(こころ)も・・・なくなってきました。

人って、そうした囚われの「心」(こころ)に解放されて、初めて真実が見えてくるのかも知れません。

も想いも「心」(こころ)も、人によって・・・その表現も強さも度合いも違います。自分にとって、
なんか物足らないと感じることがあっても。なんだと想います。

うまく気持ちを表していけないときほど、真逆の言動が現れやすいのも・・・また人の「心」(こころ)なら、
憎しみと感じるモノの奥底には、きっとがあるからなのかも知れません。

そのが、あなたに向いていることもあれば・・・
相手が、向けてほしいと想ってるなのかも知れません。

でも、想うようにならない気持ちの塊が込められたが、少し乱暴に見えるだけで・・・
には変わりはないとしたら・・・

相手が自分を、たとえ憎んでいたとしても、やっぱり愛していこうと想います。

きっと、その理由は・・・だだヒトツ。憎しみ合ったり・いがみ合ったり・傷付け合ったり・・・
そうしたことが、わたしにとって・・・愛されないよりも哀しいことだからなのかなぁ?って想ったりします。

( ̄~ ̄;) ウーン・・・なんか、わたし自身の「魂」(たましい)が、そうしたいのかも知れませんが・・・

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